拝殿は普通の神社建築とは異なります。慶長年中に国主金森氏が片野より日吉宮を現在地に奉還した時に、真言僧良弁に祭事を司らせました。後に松樹院別当を名乗ったことに因む建築となっています。

 赤い鳥居から続く石段を登ったところにあり、神前にはご神木の大杉(岐阜県天然記念物指定)がそびえています。

 

 拝殿前の大杉を右に折れますと、手水舎の脇から富士神社の前に出られます。

 富士神社の前に至ると初めて神社の拝殿と本殿のの全景をご覧いただけます。

 当神社の神域は広く、背後の城山を控え表参道を含めて厳かな雰囲気の中でお鎮まりいただいております。

 極彩色を施した社殿は、相殿となっており社名となっている木花之開耶姫命、大物主命・白峰大神を祭神とする金毘羅神社、事代主命を祭神とする衣毘須神社三社を奉仕祀しています。

 この社殿は旧本殿とでしたが、昭和10年大雨にyる裏山の崩壊で本殿が倒壊、それに続く火災により現在地にあった末社五社が覆堂とともし焼失しました。倒壊した本殿を修理し再建されたのが現在の富士神社社殿です。

 流れ造りに千鳥破風、軒唐破風を取り入れた重厚な造りの社殿です。

昭和13年の再建です。

 産土神社です。高皇産霊尊、神皇産霊尊をお祀りしています。

 社殿は富士神社に向かって左手に位置しています。社殿は小型ですが、社前には由緒あると伝えられる狛犬が据えられています。昭和16年の竣工です。

 末社天満神社です。拝殿の左手に鎮座まします。以前は山王公園北端もみじ平に有りました。

 この社は流造で伏見稲荷大社を全面より見た形の縮めて本殿。幣殿・拝殿を合わせて一つの建物にしたと伝わります。

 ご祭神は菅原道真公です。正面には管公廟の扁額がかけられています。

 末社稲荷神社です。ご祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)です。

 開運の神、商業神として信仰され、当神社の氏子より毎年幟の奉納が多数あります。

毎年2月の初午の日には多くの参拝者でにぎわいます。昭和61年の造営です。

 朱の大鳥居です。表参道から左手に折れ石段を登ったところが本殿、幣殿、拝殿となる位置関係にあります。

 折に触れて参拝者の皆さんの記念写真の撮影スポットとなるところです。

 手水舎は朱の大鳥居の左手にあります。自然石を利用した水鉢には城山の自然水を引き入れてあり、一度に多数の皆様にご利用いただいています。

 御神札授与所は手水舎の前に位置しています。

御札、御守り、破魔矢、御御籤、絵馬などを頒布しております。

 参道大鳥居と杉並木です。参道には石灯籠が並び、厳かな雰囲気を醸し出しています。

 

 毎年の例祭の行列も14日にこの参道を出発して、15日には還御されます。

 

日枝神社の表玄関ともいう参道前の大鳥居ですが、四季折々多彩な姿で皆様をお迎えしております。

  境外末社の神明神社です。「杉箇谷神明社」は昭和37年の合併により当社の末社となりました。

当社は「古来天神山南山岡に鎮座す」と記録にあるように、高山町大字三町字杉箇谷に鎮座するとあります。歴史は古く氏子は神明町と上三町であったと伝わります。

 享保20年に建てられたと伝わる拝殿は、老朽化から平成元年に取り壊され、現存する拝殿はその当時冬頭神社の拝殿を譲り受け修築したものです。神明町からの桝形橋詰めの長い石段を登ったところに位置しています。

 神明社の右手にあるのが長い石段を配した秋葉神社です。ここに秋葉様が勧請されたのは明和9年と伝わります。文化9年に破損し、嘉永6年に再建と記録されています。

 秋葉神社は火伏の神として厚い信仰を得ています。毎年1月の秋葉神社の祭礼に合わせて、日枝神社自衛消防隊の皆様もご参拝を欠かされません。

 少し奥まった位置に鎮座されるため皆様にあまり知られてはおりませんが、印象に残るお社です。

  日枝神社の社務所です。表参道をまっすぐに進んだ場所にあり、昭和62年5月の竣工です。旧社務所の同位置に建設されました。